生活音と家の風景を見るとそこに家族がいるかのように感じる

山の家の生活はとても静かで、のんびりして、あらゆる世界から切り離されています。毎日、日が昇り夜は月が出て、自分というものがうすれ、周囲に広がる木や草、土、空の一部でしかないような気持になることがあります。しかし、そんな中でも、冷蔵庫の小さなモーター音や、洗濯機で選択する音、水道を使うと、すいどうを通る水の音など、人工的な生活音があります。そういう音を聞くと、昔は家族一緒にこの家に住んでいたことを思い出し、記憶が蘇ります。まるで目の前で起きている、今の出来事のように思い出を感じるのです。特に子供の頃に記憶が鮮明に思い出されます。小学生の頃の兄と外でバッタを捕まえたり、庭で花火をしたり、敷地にある柳をとってきて七夕の短冊を飾ったこと、亡くなった祖母が部屋から出てきて外の畑仕事に出かけていく姿など、目の前で起きているように感じることもあるのです。こうした記憶スイッチは、実家を離れて一人暮らししていた時はみじんも思い出さないのですが、この家では常に思い出がすぐそこにあります。目に入る家の空間がそうさせているのかもしれません。父の病気が年々悪くなって、町に家を買って引越し、雪が溶けたらこの山の家はなくなります。思いでは家と共に永遠に失う気がして、とても切ないですが、きっと新しい家に行くと、そう思ったことも忘れるのかもしれません。人に忘れる機能が付いていて良かったとふと思いました。お金借りる